定年退職からのスタートは、ある資格取得を目指すものだった。宅地建物取引士である。

高校当時は都会の大学への進学を希望。しかし経済的に厳しく、唯一可能なのは地元の大学進学で、学費は育英会の奨学金で賄えても、肝心の下宿代が立ちふさがっていた。

そこに光明を与えたのが大学のある盛岡で不動産業を営む叔父夫妻であった。

書生のように事務所から大学に通学してなんとか卒業でき、地元の小学校教員になれた嬉しさはいまでも忘れられない。

退職したら宅建士として事務所の役に立ちたい。その思いは定年退職が迫るにつれて年々強くなるばかりだった。

試験形式は四択だが、50問もあり合格の確率はぐっと低い。案の定、数年間、浪人生であった。

転機は二十代の時に受け持った教え子との試験会場での再会であった。試験後「また来年会いましょう」と別れた。後日、彼女からは合格の連絡が届いた。私はというと、また浪人。しかし彼女から実績のある教育機関を紹介してもらい、すぐに入学した。なるほど。今まで頼っていた「一発合格!」の表紙の市販本とは雲泥の差である。おかげで無事合格。県内最高齢だという。教え子たちが祝杯をあげてくれた。

念願の不動産勤務は高齢により廃業したため実現はしなかった。でも叔父夫妻は私の思いと努力を大変喜び、涙を流してくれた。