2019年3月に定年で職を退きました。この間、コロナ禍があり、人との関わりが一層希薄になりました。学校という組織の中で微力ながら一員として働いていた頃のことを思うと、当時は上手くいかないことばかりでしたが、次はもっと生徒とつながる授業をしようとか、生徒同士を関わらせた学級運営はどうしたらいいのかと他の先生方と話しあったことが懐かしいです。なかなか人との関わりが見い出せずにいた私ですが、かつて同じ中学校で仕事をした先生から一本の電話がありました。この先生とは担任した学級が隣同士で、話す機会が多くありました。電話の中身はというと、「先生の地元新聞への投稿をよく読ませてもらっています。また、弘済会長野支部への投稿も読ませてもらいました。先生のように文章を書ける仲間を探しています。仲間になってもらえませんか。」というものでした。ある地域で出している冊子への投稿の誘いでした。地域冊子ですので費用が24,000円(年間3回発刊)とのことでした。悩みましたが、孤独な時間を過ごすよりは気分が良くなると考え、参加させていただくことにしました。サンプルとして戴いた一冊を読むと、内容は人によって様々で、自由な内容であることが分かりました。これならば悩まずに書けると気が楽になり、令和5年5月を皮切りに4回書かせていただきました。「自分の小、中学校時代」「放送局への投稿に込めた思い」「私の米作り日記」「国語教師として作文学習で実践したこと」です。いずれもとりとめのないことを書いただけですが、文字に残してみると、何回も繰り返し読めていいものだと自己満足しています。原稿を書いている皆さんと一堂に会する機会があるのですが、家庭の事情で出掛けられません。それでも、仲間の皆さんの作品が読めて有難いです。今の私の心の支えです。
「今の心の支えとなっているもの」 長野県 A.Y. (66歳)
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